か行:かれだぁ
意味(ニュアンス):食われた
用例・用法:だれがに煎餅、かれでしまったや
解説(解読):誰かに煎餅を食べられてしまったな
Category: 【暗号解読】
車検の日。
【あの人59】S・Tさん
しかも鼻が高く、おかっぱな髪をピンで留めていたな。
どんどんいろいろなことを思い出して、彼女をずんずんと美化してしまいそうだ。
小学校の5年生の時に、仙台の病院に入院していたが、その時に俺よりも随分後に入って来た同級生である。
彼女は脊柱側湾症でかなり背中が横方向に曲がっていた。けれど、外には異常も無いので、おれと同じように随分と元気だった。
これと言ったエピソードは無いのだけれど、その彼女の元気さがすごく印象的であった。
11歳の女子ということで、気持ち的には彼女の中には、男子が圧倒的に多かった環境に入って来るのには、かなり微妙ではなかったかと想像する。
他にいたもう一人の同級生の女の子は、俺が入り前からいたのにもかかわらず、他の男子にはなじめないでいた。
しかし、彼女の持ち前の明るさと威勢のよさが、他の男子たちになじめることを容易にしていたのだろう。
その後、病気を完治することができたのだろうか。
そんなことももろともせずに、明るく元気に生き、きっと元気な子供をしっかりと育てているに違いないと、期待を込める。
Category: 【あの人は今・・・】
昼飯はモス。
【2度目の入院】その2
小学校5年生の4月に入院し12月に退院した。
入院したのは4月6日、新学期に間に合うように朝から移動して入院手続きと入学手続きを行った。
地元の一関市立山目小学校にも、多分1日だけか登校したはずであるから、途中で転校という形になったのだろう。
その入院の日、親父とお袋と自分の3人は親父の運転する車で仙台へと向かった。
親父は何を勘違いしたのか、仙台市内の国道4号と45号の交差するところから東に向かってしまった。
途中で人に道を聞いて、また西多賀へ向かったのであるが、親父の勘違いは仙台の東にある多賀城である。
まぁ、そんなこんなで4号線の南下し、おそらく名取川に架かる名取大橋のたもとから西多賀に向かった。
記憶ではバイパスの方なのか旧国道の方なのかは定かではないけれど、橋の欄干には大きな石の球体が乗っかっていた。どちらだろう?
病院側からは○時までに来て欲しいとのことだったけれど、道を間違えたおかげでギリギリ滑り込みだった。
それが入院第1日目の始まりである。
その日のことは、やはりちゃんと覚えている。
朝の入学手続きの時に、隣の病室に入院する多賀城から来た女の子がいたのを覚えている。彼女は症状の軽い脊髄側湾症で夏ごろまでいた。
手続きが終わったころにお昼近くになったのだと思うが、食堂でラーメンを食べたのを覚えている。
おそらく手続きが終わった後に、検査をしたのだろう。
【2002年のなぐり書き】
う~ん、やってしまった。
ずっと欲しいと思っていたが、とうてい買えそうも無いと半ばあきらめていた Nikon D1H をオークションで買ってしまった。
さすがに高級で高機能のデジカメだけあって、マニュアルが昔買ったカメラの倍以上も厚い。今はそのマニュアルを読んで各々の機能を試し取りしながら確認しているところだ。
何がありがたいって、手持ちのレンズを全部使えることだ。
やはりこれまで使ってきたお気に入りのレンズを使えることは、一眼レフならではのことなのだ。
ではなぜ銀塩ではなく、デジカメなのか・・・?
確かに金額的に入手可能なカメラではデジタルよりも銀塩の方がまだまだ画質は上ということは分かっているのっだが、理由は次の通りである。
さしあたって写真の用途はこのホームページ向けが一番多いのである。ということはわざわざフィルムやプリントからスキャンして取り込まなくてもすむのである。
次に俺が写真を撮るときは、一回の撮影でフィルムにして4、5本は使ってしまう。その現像とプリントにかかるお金も長い目で見ればずいぶんと大きいものになってしまうのである。
というよなこじつけをして清水の舞台から飛び降りてみた。(笑)
外務大臣の田中真紀子さん、やられてますねぇ。
いや、これはあくまで俺の勝手な推理というかなんていうか・・・。
NGOの参加制限のことで、外務省と某国会議員にまんまとはめられちゃいましたね。
って、言った言わないの水掛け論じゃ田中外相のイメージダウンとマイナスポイントは避けられないでしょう。それが格好の攻撃材料になる。
そこは外務官僚の計算のうちでしょ。証拠が残っていないからねぇ。
しかし、こんな簡単なトラップに引っかかるんじゃ、ちょっと心配だなぁ。
頑張れ、田中真紀子!
外務省のあの腐った官僚体質をたたけるのはあなたしか、今の日本には見当たらないのだぞ。
Category: 【なぐり書き】
Tag: #2002年のなぐり書きスタバ寄った
磐井川堤防の桜2010 【#015】
Category: 【明日への記憶】
Tag: #磐井川堤防の桜2010No.59 錦町水天宮通り
Category: 【散歩の途中】
【Zippo】その17
I XII (1996年9月製)
前にはだまされたので、今度はちゃんとエッチングであることを確認してから購入。(笑)
写真展
【カメラ達】その19
今回のカメラは中古では無く、全くの新品である。それでもD1Hを購入した時よりも安くなっていたのでは無いだろうか。
と言っても、Nikonデジタル一眼のフラッグシップというモデルでは無く、いくつか下のグレードとなっている。まぁ、Nikon D800という、この辺りが自分にはちょうど良いのかも知れない。悔しいがさすがにD4シリーズには手が届くはずもない。(汗)
で、このカメラはFXフォーマットなので、ほぼ35mmのフルサイズに近いのである。つまり手持ちのレンズを有効に使えると言うことである。
まだ1枚も撮ってはいないのだけど、レンズの味というのが楽しみである。何も新しいレンズを使ってカリッと仕上げれば良いと言う物でもないだろう・・・と期待している。特に Ai AF-S Zoom Nikkor ED 28-70mm F2.8D(IF) とマニュアルではあるが Ai Nikkor 85mm F1.4S の写りが楽しみである。
もっとも画素数が多くなっている分、手ぶれが目立ってしまうのだそうで、十分に注意して撮影しないといけない。どんな具合なのだろう。
それにしても、どうして今更の一眼レフなのだが、実は Nikon D1Hで AF-S VR Zoom Nikkor ED 70-200mm F2.8G(IF) のAFが全くフォーカスしてくれなくなったのである。このレンズも自分の大好きなレンズなのだが、いつもマニュアルで撮影というのも辛い物がある。また、D1Hは中古で買ってから10年である。そろそろ引退させても良い頃だろうなぁと思い始めた所だったのである。
【あの人58】T・Sさん
小学校の2年生ぐらいまではテニスボールのような軟らかいボールで、近所の友達何人かと野球をするのが晴れた日の日課だった。
3年生になった頃になぜか民区(地区)の野球チームに入ることになった。ボールもそれまでのテニスボールのような軟らかいものでは無く、軟式野球用のいわゆる軟球である。
3、4年生なると民区のチームに入って野球をする習慣になっていた。一応は公式のチームに入れるのであった。
対外試合は、やはり他の民区とやるというのが普通だった。今のようにクラブチームやリトルリーグなどはあるはずも無い。また、5、6年生になると小学校のクラブで、他校との対外試合をやるようになっている。
やはり同級生の野球好きが何人か同じ民区にいて、彼らとも何度も野球をやっていた。同じ民区なのでもちろん同じチームに所属していた。
当然、一つ先輩も同じチームに所属している。その中に彼がいた。同じ民区なので住んでいる家もそんなに離れていない。
それでも、小さいころからやっていた軟らかいボールの野球のときは一緒にやったことは無かった。
突然俺の野球という視界の中に現れた彼は、ひょっとしたらどこからか転校してきたのかも知れない。
彼はキャッチャーで小学生の低学年から見たら、妙に大人っぽくてとても格好良かった。特に守備に着いたときに、キャッチャーマスクを手に持って全員に掛け声をかける姿が格好良かった。
そいう姿に憧れた俺は、やはり草野球や後の中学、高校ののクラスマッチの野球では、マスクを被りキャッチャーをやっている。
対外試合は記憶にあるのは1度だけである。もちろん彼はキャッチャー、俺は何とかライトのポジションに入っていた。その試合で俺が打ったかどうかは覚えていない。守備から攻撃に移るときに走ってベンチに戻ってきたとき、すごく緊張していたのを思い出す。
残念ながら、彼も打てたのかどうか、そして試合に勝ったのかどうか、それより、どこのチームとやったのかさえ思い出せない。
Category: 【あの人は今・・・】
【2度目の入院】その1
おそらく人生2度目の入院生活だ。
自分のサイトにも時々名称が出てくる、宮城県仙台市にある「国立療養所西多賀病院」(現独立行政法人国立病院機構 西多賀病院)で「大腿四頭筋拘縮症」の治療で8カ月の病院生活を送った。
自分は小さい頃に体が余り健康ではなく、よく市内の総合病院にお世話になっていた・・らしい。そこで治療のために太もも(大腿四頭筋)へ筋肉注射をされていた。
それが原因で、筋肉が固まり成長するにつれて足を引きずり独特な歩き方をするようになってしまった。それが大腿四頭筋拘縮症である。
具体的な治療方法は理解していないが、手術で萎縮した筋肉を(どうにかする?)、手術の後にある程度の期間、膝を屈折させたままギブスで固定し太ももの筋肉を伸ばす、ギブスをとった後はリハビリにより筋力を付けることと筋肉を伸ばす・・ことが一般的ではないかな。
西多賀病院には一関からの子供たちが大腿四頭筋拘縮症のために断続的に何人も入院した。
自分もその中の一人である。
西多賀病院は脊髄側湾症(だったと思う)や股関節ペルテス、進行性筋ジストロフィー症の子供たちが大勢入院し治療していた。
そんなわけで、西多賀病院には分校として小中学校が併設されていた。現在でも小中学校が併設されているのではないかな。
病室がそのまま教室になるので、子供たちは楽しい学校生活も一緒に送れるというわけである。
そう言えば当時の病院の住所も覚えている。
「宮城県仙台市鈎取字紅堂13 国立西多賀病院 6下8号」である。
最後の6下8号は6病棟の1階8号室という意味である。
ちなみに下は1階で上が2階という意味である。(笑)
【2002年のなぐり書き】
さてさて、今年初めての「なぐり書き」です。
一関では年末からお正月にかけて雪が降ったりして、今でも日陰になってる道路には雪が積もってる。雪かきに積極的じゃないうちの庭にも、当然のように積もってる。(汗)
年末から風邪にやられてしまって、正月休みも予定していたスキーにすら行けない状態だ。
中々直らなくて長引いている。
皆さんも十分お気を付けあれ。
久しぶりにオークションにはまっている。
いや、はまっているというより欲しいものをオークションで探して、連続して買っているのだ。
別に物さえしっかりしていれば中古でもいいので、カメラ用の三脚とレンズを買った。
また、なんとなく入札してみた別のレンズも競争相手が出てこないので、ひょっとして俺に落ちるのかもしれない。
三脚は、前に使っていた駄目になってて欲しいと思ってたし、レンズは今もっているのよりも長玉で撮りたいと思っているのが有るので買うことにしたのだ。
これは後々に「一枚の写真」で紹介することになる・・・・はず。(笑)
Category: 【なぐり書き】
Tag: #2002年のなぐり書き回線が危なかった
明日への記憶ksb015
Category: 【明日への記憶】
Tag: #黒沢橋架け替え工事No.58 一関銀座会と街路灯
Category: 【散歩の途中】
そろそろ始まる
【Zippo】その16
モノマガジンの通販で「65周年モデル」と一緒に購入した。
Olive とはポパイの彼女のオリーブであるが、プリントのために使っているうちのどんどん剥がれてしまう。(涙)
なので、つるつるになってしまうのは困るので今は使っていない。
【カメラ達】その18
けれど、よんどころない事情で動画を撮れるコンパクトカメラを探していた。真っ先に候補に挙がったのはNikonのCOOLPIX P7000であったが、動画の撮れる時間に不満だった。一眼と同じNikonなのでストロボも使えるとか良いなと思ったけれど、やはりOKは出せなかった。
このCanon PowerShot G12も最初は機能説明のところで動画の録画時間を読み違えてしまっていたので、十分な時間を撮れるとは知らずに候補から外していた。
最終的に購入しようと思ったのはRICOHのGXR+S10 KITにしようと決めていた。
何かBlogでG12の動画撮影時間のことが書かれてあって、再度サイトの機能説明の所を読み直したら、なんと1時間も動画撮れると書いてあるではないか。
ということで、コンパクトカメラをあれこれと悩んでいたのだが、その所を読んだ途端にあっさりお買いあげとなったのである。(笑)
本格的はまだ10分程度しか撮影していないが、これも自分のしようには十分に耐えられる画質である。また、静止が(写真)に関しても、もちろん十分すぎる、自分が持っている一眼以上の画質の写真が撮れるので大満足なのである。
このカメラに注文を着けるとするならば、せっかくの光学ファインダーがあるのだから、露出条件とフォーカスエリアぐらいは表示させてもらいたい。その方が断然撮影しやすくなると思う。 もう一つはボタンの配置で、慣れの問題もあるだろうが、カメラを構える時に変なボタンを押してしまうと言うことがしょっちゅうである。小さいボディに色々ボタンが付いているので止む得ないという所もあるのだが、もう一工夫あっても良いのかも知れない。
カレー食べた
【あの人57】Mさん
前にここに書いた同級生の彼女だった。
いつごろから話すようになったのかは覚えていないんだが、仲の良いグループが出来上がったときにはすでに友達の彼女になっていた。なのでグループの中にいたから、いつも授業時間やお昼時間は席が後ろだったり前だったりした。
第一印象は高卒にしては派手な感じだなぁと思っていたが、当時流行っていたサーファー風の服と化粧のせいだったかも知れない。街を歩けばそんな格好の女性はいくらでもいたが、学校の中ではちょっと目立った存在だった。
彼女は浦和だったか大宮だったかの人で、商業系の高校を卒業したと聞いた。
おかげで1年生の1学期に履修しなければいけない商業簿記は救われた。彼女のノート丸写しだ。(汗)
普通高校卒の俺とすれば簿記なんて見たことも触ったことも無いのだ。
そんな彼女とは飲みに行ったことも無かったし、友達が麻雀屋につれてきたことも無かった。そういうわけで、学校の中だけの彼女しか知らないのだ。
どういうことがあって、夏休み以降に学校に出てこなくなったのかは分からないが、ある日の混雑した京浜東北線の中で偶然に彼女と会ったことがあった。
その時話したことで分かったのは、友達との中は終わっていて、六本木辺りの会社にOLとして働いているということだった。
そういえば学校で目立っていた彼女の、その時の服装はOLさんのスーツ姿だった。
今も元気なんだろうか。
Category: 【あの人は今・・・】
【2度目の入院】その0
小学校の5年生の時に、仙台にある国立療養所西多賀病院(現独立行政法人国立病院機構 西多賀病院)という病院に8ヶ月の間入院していた。
かなり昔の事であるが、自分にとっての原風景というこの8ヶ月間に起きたこと見たことが、自分の人生を支えていると言っても大げさでは無いかも知れない。
【2001年のなぐり書き】
さて、そろそろ今年も終わろうとしています。
今年はずいぶんと色々あったように思うのだが、やはり一番記憶に残っているのは「米国テロ事件」だろう。あれほどインパクトが強く強烈な出来事は無かった。
次に「国内狂牛病問題」である。対岸の火事とばかり思っていた出来事が日本でも起きてしまった。その他にも悲しい事件・事故が多かったように思う。
自分を振り返れば、さほどいつもの年と変わらぬ平凡な1年だった。
まぁ、その平凡というのが本当は一番幸せなことだろう。
来年はというと、今年行く回数が極端に少なかった波乗りをもうちょっと多く楽しみたいと思っている。
なんやかやで海へいけなかったりしていたのだが、なんとか行ける回数を増やしたいと思っている。
それと「一枚の写真」で公開できるような写真を撮りに行くということ。
そろそろ手持ちのストックも減ってきたので、あそこに載せる写真が・・・・。
というような事で、オークションで三脚やらレンズを買ってしまったのだから、なんとか元を取れるような写真を撮らなくちゃ。(笑)
まぁ、このぐらいのことか。(汗)
それでは皆様、よいお年を。
Category: 【なぐり書き】
ギターがやって来た
No.57 元ダイエー前
Category: 【散歩の途中】