【新聞配達】その6
当初の目的のギターはお正月に手に入れていたから、もう新聞配達をしている意味が無くなっていた。
そろそろ辞めて受験勉強でもしないといけないなぁ(いやいや、そんなことはするはずがない)と思い始めて、1月の下旬に辞めることを申し出ていた。
辛くもあり楽しくもあった5カ月間だったけれど、それはそれで貴重な体験になっているはずである。
あの新聞配達から何年かして、大人になり一関に戻ってきていた。
ある日、実家に新聞の集金に来た人がいた。
まさか実家でもあの新聞販売店から新聞を取っていたなんて、想像もしていなかった。
顔を出したのは、あの懐かしい販売店の店主であった。
そして最近になって理解できたのだけど、店主の指が無いのは、きっと印刷関係の仕事をしていて、断裁機か輪転機に指を挟んでしまったのではないかと。。
【新聞配達】その5
多分、販売店ではなく、もっと上の団体からであっただろう。
市内の、今では多少なりとも立派になって同じ場所で商売を続けているが、当時は蕎麦屋とも食堂とも言えない店の2階の宴会場にみんな集められた。
どんな状況だったかは覚えていなかったが、伸びたうどんがを食べたことは覚えている。
その席で、何人かの人たちが慰労の言葉をスピーチしていたが、どうも気に入らなかったのは、どこかしら上から目線で、「お前たちは貧しくてかわいそうだ。一生懸命新聞配達をしてるから、今日は慰めてやる」という風にしか聞こえなかった。
そう感じた子は他にはいただろうか、自分は帰る時には、なぜか敗北感が一杯だった。
もう一つ、思い出を。
かなり配達にも慣れてきたころの話し。
色々な種類の新聞が仕分けされている台の上に、業界向けの読んだことが無い新聞が置かれていた。
メインの新聞は多少多く販売店に運ばれてくることを知っていたので、その業界紙も多少は多いのだと思って、いく種類かをゲットして新聞店を出た。
その日の配達がそろそろ終わりに差し掛かったことに、店主が自分に車で追いつき、大目玉をくらった。
【新聞配達】その4
自転車で配達をしていたが、雪が降っても怖いとは思ったことが無かったが、この路面がツルツルだった日は、まともに進まない、曲がれない、停まれないで、転倒の危険があったで怖いと感じた。
スピードは出ていないので転倒することは怖くなかったが、転倒した時に配達する新聞が散乱してしまうのが怖かった。汚れてしまえば、配ることはできない。
その日は、いつもの日にまして注意しながら自転車をこいでいた。
前半を終わって道を折り返し後半に入ろうとした時、車ならばブラインドになってしまうカーブに差し掛かった。
さほどスピードは出していないつもりだったが、前輪がツルツルな路面で滑り制御できなくなってしまった。
次の瞬間、転倒。
と同時に、自分と自転車は道の反対側へと滑って行ったのである。
散乱した新聞は、凍結した路面が幸いして汚れてもいず難なく回収ができ、配達はそのまま続行することができた。
【新聞配達】その3
そのころは親父とよくスキーに行ってが、高速が無い時代だったので、どうしても早い時間に出発しないといけない。
盛岡の奥、雫石の網張スキー場がお気に入りだったが駐車場をまともな場所に確保しようと思うと、どうしても一関を朝の5時に出発しなくてはいけない。
途中から雪道になることも計算すると、2時間半は掛かってしまう。
ある日、網張へ行くことになったので、店主に4時からできるようにお願いした。
快く4時からという約束をしてくれたのだけれど、朝に店主が着いたのは4時半だった。
30分ぐらいの遅れならば、どうっていうことは無いのだが、時は真冬の2月。吹雪いている、ものすごい寒い朝だった。
その店主が来るまでは、当然ながら店の中には入れない。
仕方ないので来るまでの間、店の向かいにあった電話ボックスで時間をつぶすことにした。
この電話ボックス、風と雪を防いでくれるので、意外と暖かいのである。
もちろん暖房は無いのだが、風を防いでくれるだけで十分に暖かく感じた。
【新聞配達】その2
交替してくれた彼の話しだと、受け持ちは50部、時間にして1時間ぐらいだと。
そうすると5時に起きれば、間に合うと思ったのである。
ちょっとは、頭のウォーミングアップの時間が欲しいので、ちょっと早い気もするが、やっぱり5時起きでいいのだ。
最初の2、3度は彼が同行して配る家を教えてくれた。
そして、各家庭の名字を配る順番に書いた虎の巻の作り方も教えてくれた。止めたり新規に入ったりする人もいるので、それに対応できるようにするために必要だった。
一度覚えてしまえば、その虎の巻はいらなくなるのだが、最初は不安なのでポケットにあるだけでも心強かった。
幸いにして自分の担当地区はそれほど複雑ではなく、当時の国道4号沿いを南から北へ、少し中に入ったりしながら配って行くという、単純な経路だった。
交替の時期は9月の半ばだった。
彼は夏の朝でも気持ちの良い時をねらって配達をしていたのだったが、自分は寒さが厳しくなる冬に向かってだったから、ちょっと大変だった。
10月まではそれほど重ね着をしないでも、割と平気でいられたが、11月からはそうもいかなくなった。
【新聞配達】その1
もう誰がどうだったかは忘れてしまったが、何人かが新聞配達の自慢をしていた。
中には経済的な理由で配達をしていた人もいるかも知れない。
自分はフォークギターを買おうと思ったので、ある意味では経済的な理由なのかも知れない。
結局、正月に親に足りない分を足してもらって、目的のギターを買うことができた。
新聞は朝が来ると玄関に入っているので、誰から配っているなんて、それまでは考えたことも無かった。
どうやら、友達の何人かが新聞配達をしているというらしいのが。
友達と話しをしている時、新聞配達という言葉が出てきた。
したことは無かったので、なぜか新鮮に感じられた。
自分もその流行りに乗りたいという、そんな興味が湧いてきて、どこかにその口は無いかと何人かに聞いて回った。
その内に、自分は辞めたいから替わってくれと言うやつが見つかった。
早速その彼に交替と言う形で、新聞販売店に朝早くから出かけた。
店主は、話してみると案外優しいが、強面で左手の人差し指だったか親指が無かった。普段から薄い色のレンズのサングラスをしていたから、きっとあっち関係の人に違いないと、はなはだ失礼な勘違いをしていた。
【新聞配達】その0
他のみんなは、もらったお金を何に使ったのだろう。自分は欲しかったギター購入の一部に当てた。
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