【波乗りの日々】その8
そう、自分がいたのはパワーゾーンだったのだ。
とにかくパニックになっては溺れてしまうと自分に言い聞かせ、とにかくブレークする波にもまれながら陸に着かないと。
波の立たないところは、沖に向う流れカレントがあるところ。なので、波のもまれた方が、はるかに安全に陸に近づくことができるのである。
なんど大きな波にもまれただろう。
必死に泳いで陸に着いたときは、力を使い果たしていた。(汗)
が、それを陸の上、車から笑いながら見ている人がいた。
一関から来ていた先輩のAさんとTさんである。
自分よりも波乗りでは、はるかに先輩である彼らには、今自分に起ったことなどはたいしたことが無かったのだろう。(笑)
すぐに別なポイントへ移動するからお前も来いとの命令だ。
おそらくあそこで断って帰っていれば、さっき起ったことがトラウマになって波乗りができなくなっていたかも知れない。
それを知ってか知らずか、AさんとTさんは強引に次のポイントで波乗りを続けるように誘ったのである。
入ったときは、沖から入ってくるうねりが恐かった。
ただただ、そのうねりをやり過ごすことしかできなかったが、しばらくして手ごろなうねりに思い切って乗ってみた。
選んだうねりも良かったのだろう、すんなりと乗ることができた。
ワイプアウトすることも無く、乗り続けることができた。
このおかげで、その後何年も海に通うことになるのである。(笑)
【波乗りの日々】その7
早速着替えてボードを抱え砂浜に下りて波打ち際まで行ってみた。
波打ち際の割れるシュアブレークが、今まで見たことも無いぐらいに大きかった。自分の身長よりも遥か上のほうから海水が落ちてくる状態だった。
それでも、上から見た風景ではシュアブレークを越えるといい波が立っている部分がある。
何度かもまれながらも、そのポイントに入っていく。
沖を眺めながらボードにまたがり、ウエイティング。
すると沖からうねりが、しかもかなり大きい。
やばい。
沖に出てブレークする前にうねりをやり過ごそうと思って、必死になって沖に向かってパドルを開始。
しかしパワーゾーンを抜ける前に、その大きなうねりが自分に向かってブレークしそうである。
ドルフィンスルーをかましてブレークをやり過ごそうと、ボードの先端を水に沈めうねりに入っていった。
けれど、そのドルフィンスルーが甘かった。
うねりの下に入る前に浮かんでしまった。
自分も一緒に一回転してうねりがブレークしてしまった。
かなり深いところまで体が沈んだが、何とか水面に浮かび上がることができた。
普段ならここまでは良くある話し。
いつもと違ったのは、足に付いているはずのリーシュがはずれいて、ボードが勝手に陸に向かって流れている。
ボードさえ手元にあれば、それに捕まって休むこともできる。
が、そのボードが勝手に砂浜に流れ着いている。
【波乗りの日々】その6
しっかり覚えているのは、まだ最初のボードだったから真っ直ぐにしかボトムに下りられなかった頃だろうか。
いつものポイントにうねりが入ってきていないので、隣のポイントへと移動した。
遠目に見ると、何にか先に入っていて程よい感じの波が立っている。
けれど実際に入ってみると、初心者の自分には扱いきれないような大きな波であった。
が、場所によっては何とかなりそうなところもある。
せっかく長い距離をパドルで移動してきたのだから、そこを狙わない手は無い。
首尾よく波を捕まえることができ、テイクオフした。
何かの拍子に転んで波の中へ、ワイプアウトである。
ワイプアウト自体は珍しくもなく、常にありうることであるが、その時のうねりが強烈だった。
波にもまれているが、中々な海面に浮かばない。
何度も上下がひっくり返りながらもがいていた。もちろんセオリーどおりボードが頭にぶつかるのをガードしながら、そして体を丸めて小さくなりながら。
しかし、段々と息が続かなくなる。
ううっ、息ができない。
それは何十秒だったか知らないが、とてつもなく長い時間のように感じられた。
でもこの日の波はパワーがあってすごくいい波だった。
【波乗りの日々】その5
そうなると、何をやってもダメという感じである。
一緒に入っている友達からせっかく譲ってもらう波でも、上手いタイミングで乗ることができない。
う~ん、何故だろう。
中々波乗りを体で覚えられない。
けれど、いつしかそのスランプも通り越し、日に1~2本が3~5本に増えるようになる。
そして狙った波を確実にサーフできるようになってきた。
自分たちが良く行った海は三陸海岸、宮城県気仙沼市より少し南下した辺り。
夏は良く霧が発生する。しかもほんの10m先も見えないぐらいの霧である。
お盆休みだったろうか、いつものH君と波乗りをしていた時、霧の向こうから「おお~い」という声がした。
自分は海に入るときは当たり前だが眼鏡を外している。
なので、その声の主が分からないのである。
大分近づいてきたときに、ようやくその彼が店をたたんで奥さんの実家の八王子に行ってしまったマスターだということが分かった。
話しを聞くと、八王子から湘南方面へ毎週通っているのだという。
確かに波乗りが上手くなっていた。
そして夏休みなので、実家に里帰りして波乗りに来たのだという。
陸に上がると、相変わらずきれいな奥さんと娘さんがいたのだが、小さくて可愛かった娘さんが、すっかり大人になっていてビックリした。
子供は成長が早いのだなぁと思った。(笑)
自分の職場の都合でお盆に休めなくなってしまってから、彼には会う事もなくなってしまった。
【波乗りの日々】その4
それから2年、何度海に通っただろう。
5月の末から12月の頭まで、多いときは週2回のペースである。
波を捕まえてパドル、ボードーが走るとスタンディング。
一直線でボトムまで下りるだけである。
何故ボトムでターンできないのだろう?
やってもやっても、ただただボトムに一直線。
何がきっかけだっただろう。
はっきりとしたきっかけは覚えていない。
いつの間にか、ボトムでターンしてリップまで帰ってこれるようになった。
そうすると、面白いようにボードは走り出す。
スピードが乗ってくれば、小さいターンは苦労なくできるようになる。
この頃には中古ではあるけれど、何本かのサーフボードを乗り継いでいた。
おおよそ乗りやすいとはいえないようなボードや、短くてそのポイントには向いていないボード。
多分、自分の体やスタイルに合わないボードに乗っていたからだろうか、楽しかった波乗りが一転して、スランプに陥る。
一日中海の上にいて、乗れない日が続くようになる。
全然波が取れないのだ。
波を取ることができれば、ちゃんとサーフィンになるのだが、ただただボードにまたがりプカプカと浮かんでいる日々。
【波乗りの日々】その3
そうこうしているうちに、マスターが波乗りを始めた。
また、そのボードを横取りしてH君が挑戦する。
横からM君が挑戦する。
そして、自分も初めて挑戦してみる。
とりあえず腹ばいになって波が来るのをめがけて言われたとおりにパドリングする。
一度や二度では簡単に波を捕まえることはできない。
波といっても、膝にも達しないような小さな波打ち際の波なのだが。
みんなと交替しながら、何度も挑戦する。
そうすると、コツをつかめたのか自然にボードが走っていく。
この感覚が、その後の長い波乗り人生の始まりなのだが、一方では苦悩の始まりでもあった。
運良くボードが走る感覚をつかむことができたので、もうこれは波乗りをするしかないと興奮状態である。
早速先輩から中古のボードを譲ってもらった。
これがかなりの年代物、ボコボコのボードだったが、2年も乗ることになった。
それは初心者用で少しサイズが長い、波を捕まえやすいボードだった。
初めてポイントに出たときは、もちろん足がつくはずも無いところなのだが、海水浴場と隣りあわせなのでなんとなく安心感はあった。
波を捕まえやすいボードだったおかげで、ポイントに出て2回目で立つことができるようになった。
ただ、波乗りは立っただけではボードが失速してしまうから、ちゃんと波乗ったとはいえないのだけれど。
【波乗りの日々】その2
自分のスキーの師匠でもある友達のH君が、先輩と波乗りを始めるかどうかの頃に、あるスナックの飲み会に行った。
それが尚一層、自分にとって波乗りが身近に存在した瞬間だった。
それは今はもうとっくに閉店してしまった「SmalTownTalk」というスナックなのだが、そこのマスターが波乗りを始めており、H君も巻き込まれているという感じだった。
他にもスキーの日帰りツアーなんかもあったりして、自分もちゃっかり一緒に参加していた。
その飲み会、男女合わせて20人ぐらいが来ていただろうか、今で言う合コンなのだが、たいがいは顔見知りの常連さんばかりである。(笑)
その飲み会の夜というか明け方、何人かで海に行こうということになった。
もちろん自分が行かないはずが無い。
ただただみんなと騒ぎたいだけなのだ。
車を何台で分乗しただろうか、自分はすっかり酔っ払っていたので、車は運転していなかったかも知れない。
マスターかH君の車に乗っていただろう。
そのマスター、その時ちゃっかりサーフボードを屋根の上に載せていた。
【波乗りの日々】その1
BIG WEDNESDAYという波乗りをテーマにした映画があって、それを見たのがきっかけ。
でも、当時は埼玉の蕨に住んでいた自分にとって、海はものすごく遠いところの感じがしていた。また、どうやって波乗りを始めていいものかも、まったく検討がつかなかった。
自分にできることといえば、神田辺りのスポーツ品店からサーフボードメーカーのTシャツを買って着るぐらいだった。(笑)
思えば、そのTシャツを売っていた店の人に、どうやって始めていいのかを相談すればよかったのだが、あまりにも海が遠い感じがしていたので、その相談という発想すらも無かった。
就職で仙台に来たときに、会社の近くを通る道がサーフスポットの「仙台新港」への抜け道だったらしくて、時々サーフボードを屋根のキャリアに載せた車が走っていった。
けれど、仙台に来た頃には波乗りのことなど頭の片隅に追いやっていた。
【波乗りの日々】その0
ショップからTシャツを買って着るぐらいしかできなかったなぁ。
全然サーファーじゃなかった自分が、あるきっかけで波乗りに通うようになる。
夢のような楽しかった日々。(笑)
| h o m e |