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Simple Hama @岩手一関

Webサイト「Simple Hama」のミラー的ブログ since 2020.05.10 19:00

 

【思えばあの日から】その12 

あの時の一言のおかげで、またバンドでベースを弾くことになった。
それはかなりの年月を経ての出来事だったので、とりあえず何をしたらいいのかさえ分からなくなっていた。

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そう、とりあえずベースだ。
物置にしまいっ放しになっている19歳の時に買ったベースはまだ音が出るのだろうか。

恐る恐るシールドを挿し、アンプの電源を入れてみる。
つまみをいじったときにちょっと雑音が出る程度、それも使っていれば自然と収まってくれるだろうの程度。

メンバーとの初めてのミーティング。
どんな音楽をやっているのか、メンバーはどんな感じなのか。

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そんな事を気にしながらメンバーが集まっている所へ行ってみたが、何も構える必要もなかった。
スンナリとバンドの中に入ることができた。

初めてのミーティングで、ライブへの出演が決まり、すでに曲も選んでいるという。

けれどメンバーは全員社会人。

しかも色々な職種のメンバーなために、練習のために集まれるのがライブまでに2回しかなかった。
それでも、何とかあわせることがで、ライブも無事に終わった。

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それから、このバンドではメンバーの追加や入れ替えがあり、最終的にはドラム、ベース、ギター、キーボード、ボーカルの5人におさまった。
そして、ギターは念願だった高校の時のバンド「私文バンド」で一緒にやった友達とまたやれることになった。
その5人でいくつかのライブに出演できた。

しかしながら公務員のメンバーが転勤で一関を離れることになり、しかも翌年には海外への赴任が決まってしまった。


そこで活動を停止するのはつまらない。
The Gatesをスピンオフして、新しいドラムスを探してメンバーに加え、BackDoorを結成した。

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新しいドラムはボーカルの大学の同級生で、大学のサークルでもドラムを叩いていたという。

新しいバンドになって、音楽の方向もがらっと変わった。
それまでは70~80年代のハードロックをやってきたが、新しいバンドでは新旧のブルースをやることになった。
ずっとやりたかったブルースをやっと演奏できるバンドになった。

そして、結成2ヶ月で待望のライブイベントに出演することができた。

この後、このバンドはどうなるか分からない。
ずっと続くかもしれないし、メンバーを交代することになるかも知れない。

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はたまた解散してしまうかも知れない。

そんな事は、誰にも分からないことだけど、そんな先のことを心配しても仕方ない。
今は今でしかない。

今は今の音を出すしかないのだ。

The End.

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【思えばあの日から】その11 

高3の10月、受験時期に入ってしまったのでバンド活動を停止することにした。

高校を卒業した後、同級生は大学のサークルつながりでヘビーメタルのバンドに参加していく。
ヘビーメタル自体は嫌いではなかったが、演奏する音楽としてはどうしても着いていけなかった。
また、自分自身のベースにも東京でバンドを組んでやっていくという自身も持てなかった。
(最近になって高校時代の音源を聴いた見たが、それほど酷い演奏ではなかった。思い切ってサークルのバンドに飛び込んでいけばよかったなぁと後悔した。)

けれど、どこかにベースを弾きたいという欲求だけは、どこかに持っていた。
高校卒業前に改造してしまって弾けなくなってしまったベースの替りを1年払いのローンで楽器屋から衝動的に買ってしまった。
また、音楽雑誌の売買欄から欲しいギターを見つけて、横須賀の高校生から中古のギターを買ったりもした。

そういうわけで、個人的に一人で悶々とギターを弾いたりベースを弾いたりしていた時代が何年か続いた。
そして、段々音楽を演奏するということからフェードアウトしていき、ベースも物置にしまってしまった。
それからは、もっぱら音楽は聴くだけになってしまい、社会人も後半へと突入してしまう。

何年前の話しだったろうか。
人事異動の時期の2次会での席でのことだった。
ある後輩がバンドでボーカルをすることになったのだが、ベースがいないという話しになった。
その彼の隣に座っていたのが、大学時代に軽音でベースを弾いていた。
そういうわけだったので、バンドに入ってベースを弾かないかと、しきりに誘っていた。
なぜか誘われた彼は固辞していて、その話しは成立しなかった。

少し経ってから、俺の隣に座っていた子が「○○さん、ベース弾けばいいじゃん」と俺に話しを振ってきた。
「えっ、弾いてもいいよ」

これでこの前まで活動していた「The Gates」にベーシストとして参加することになった。

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【思えばあの日から】その10 

高校3年生。

校内でのバンド活動はどうだったか。

学校内では「私文バンド」として活動していた。
メンバー全員が私立文系のクラスだったのが名前の由来。

活動といってもライブは体育祭の後夜祭と文化祭しかなのだけれど。
ライブのほかには好きミュージシャンのレコードを掛けてDJごっこをして録音したり。

この年の文化祭では、勝手に教室を借り切り、暗幕を張ってライティングして。
前の年の文化祭と違ったのは、ゲストメンバーにピアノやギターを曲によってフィーチャリングしたり、ベースとドラムスが楽器を持ち替えたりといった余興もした。
このライブも同級生をはじめ、後輩たちで、満員。
部屋の中は、今で言うクラブ状態だった。

けれど、次の日に生活指導課に呼ばれて説教されたのは、何を隠そうこの私です。(汗)


実はこの後に、大きな事件が起きる。
10月だったかなぁ。

当時、地元の高校生の中ではカリスマ的だったギタリストが自宅で自殺をしてしまう。
彼は別の実業高校に通っていて、市内では名の通ったバンドでギターを引いていた。
白のストラトキャスター、グレコのコピーモデルであったけれど。

高校の近くだったから、学校をサボっては何度も遊びに行っていた。
事情は色々とあったのだろうけど、その衝撃はすごかった。
その手段を選ぶしか道は無かったのか・・。

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【思えばあの日から】その9 

高校3年生。

この年が10代では一番音楽的に充実していた年だったかも知れない。
受験生だったにもかかわらず、この年の10月までしっかりと音楽活動をした。

校外のバンドは高1のときから「一乗寺」、これはメンバーのギターから中学のときにギターを教えてもらっていたが、その練習場所が自宅近くの一乗寺というお寺だった。
無人のお寺だったので、アコースティックぐらいならいいよと管理していた人から許可をもらっていた。
3年になって、高専の同級生のバンドにベースとして加入。このときのバンドの名前が「Crysis(クライシス)」。
また、高校の中で活動していたバンドは「私文バンド」といった。

2:10の活動では定期的なライブに2,3度出演をしていた。
あるミーティングでは次回のライブはオリジナルを必ず1曲入れるという課題があった。
それまではずっとコピーばかり弾いていたが、ロックンロールの曲を作った。
どんな曲だったかすっかり忘れてしまったが、作詞作曲を手がけた。
また、女性の先輩とのコラボレーションで彼女が詩を書き俺が作曲した曲も別のライブの時に弾いた。
このときの曲は「オレンジマーマレード」という名前だったのを覚えている。

その後、夏を少し前にしたときだったと思うが、「一乗寺」を解散し「Crysis」に移った。
こちらのバンドは、それまではどのような曲をやっていたのかはっきりとは覚えていないが、俺が加入してからは「甲斐バンド」や「カルメンマキ&OZ」などのコピーを主体としたバンドだった。

このバンドでははっきり覚えているライブが2つある。
その一つは夏まつりに連動して磐井川の堤防で行われたライブイベントへの出演。
そして、NHK-FMでローカル局の公開収録への出演である。
どこかに音源が残っていれば、すごく懐かしいのだが。。

そして、このFM放送の公開収録が高校生最後のライブであった。


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【思えばあの日から】その8 

高校2年生。
この年に音楽の路線変更をする。
聴く音楽も演奏する音楽も、それまでとはまったく違うものになった。

それまでは四畳半フォークの流れを汲んだものや、叙情的なフォークが好きで聴くのも弾くのその路線だった。
けれど、この年からそれまでちょっとは聴いていたハードロックに浸ってしまう。
それと同時にブルースやブルースを基調としたとしたロックにも傾倒していった。

バンドで大きく変わったのは、それまでアコースティックギターとベースという構成だったのが、ドラムを加えて本格的にロックバンドになったことだった。

また、この年から学校の外側では2:10に所属して4人構成、高校の中では別のメンバーで5人を主体として演奏する音楽によってはギターを加えたりキーボードを加えたりした構成。
いずれもハードロックやブルースを演奏するようになった。

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高校の中でのライブは体育祭の後夜祭や文化祭のステージがメインになった。
高校にはロックバンドを受け入れてくれるようなクラブや同好会は無かった。
そんなわけでアンダーグラウンド的な同好会でやることにした。
高校には視聴覚室という普段は使われていない教室があって、そこをバンドの拠点にした。
時々使うこともあるので、ライブの時だけ機材を持ち込んで使ってしまおうということにした。

体育祭の後夜祭のほうは、もちろん屋外で弾いた。
3年生のバンドと対バンだったが、2年生のうちらのバンドのほうがはるかに高いレベルだった。
しかしながら夕方から雨になってしまい、楽器が濡れて大変な目にあった。
借りてきた濡らしてしまったドラムをドライヤーで乾かしたりした。

文化祭はなぜ使うことができるようになったのか今でもわからないのだが、視聴覚室を独占して機材を持ち込み、暗幕を張ったりしてライブ会場にしてしまった。
このときは、対バン無しのまったくのワンマンライブだった。


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【思えばあの日から】その7 

当時、市内にはもちろんいくつかのバンドがあってそれぞれに活動していた。
あるライブをきっかけに、3人組(ギターx2、ベース1)のバンドがお気に入りになった。
彼らはすでに働いており、自分の会社をもじってバンド名にしていた。

何度かライブを見に行くうちに、彼らと仲良くなった。
そして、自宅まで遊びに行けるほどになった。

自分はといえば、無事に高校に合格して、これからまた音楽を始めようかというところだった。

中学のときに友達と一緒にやっていたバンドは解散して、最初にギターを教えてくれた別の友達と、またあまり話しをしたことは無かったが、ギターを弾いていると噂に聞いていた同級生の3人でバンドを組んだ。
アコースティックギターx2、エレキベース1という、当時の一般的な構成だった。

バンドを組むと同時に、市内の高専生が中心となって活動していた2:10というサークルにも加入した。
これによって、定期的なライブへの出演ができるようになった。
また、自分にとっては苦痛でしかなかった高校生活の唯一の心の拠り所になっていった。

加入したての頃の持ち曲は今では全然覚えていないが、中学のときからお気に入りだった社会人バンドからプレゼントされた曲を必ず最後に演奏するようになった。

初のライブは6月ごろだった。
ポスターは手書きのデザインを画用紙にコピーしたものだった。
記念にとしばらく自分の部屋にも貼っていたものだった。

そして、その年はクリスマスコンサートにも出演することができた。
このクリスマスコンサートの日は、何十年ぶりかの豪雪で、市内は白一色だった。
終わって打ち上げで飲んで、雪が積もった街をメンバーと歩いたのを記憶している。

高校1年の表向きの音楽活動はこうして過ぎて行った。

高校になって加入した2:10は、高専生が中心になって運営されていたが、市内にいくつかある高校の生徒たちも加入していた。
そして、毎週土曜日の2:10から、今は一関文化センターになってしまった、旧一関小学校体育館をそのまま利用した一関公民館の2階でミーティングが行われていた。

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【思えばあの日から】その6 

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いよいよ本番。
今年のライブは体育館のステージ、去年のような小さい部屋ではなく、全校生徒が集まれるような、俺にとってはとてつもなく広い場所。

アンプやPA類は前日までに知り合いの知り合いから借りていたものを搬入してセッティング。
出演バンドは確か2つか3つのバンドだったような気がする。

さすがに大勢の前なので緊張したんだろうなぁ、どのような演奏だったのか全然覚えていない。
ただ、1曲目の出だしにベースの音量が大きすぎて、ボーカルから「高い」と言われたことは覚えてる。(笑)

何やかやで5曲ぐらいやったんじゃなかったかなぁ。。

メンバーは
ボーカル   :Y・S君
リードギター :S・M君
サイドギター :H・K君
 &コーラス
 &ハーモニカ
サイドギター :Y・O君
ベース    :自分。

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ちなみにリードギターは、今のバンド「BackDoor」のリードギターでもある。(笑)

この時の音源は残っていないが、写真が残っている。
ハチマキなんか巻いて、とても恥ずかしい格好であるが、あの時は格好いいと思っていたんだろうなぁ。。
恐ろしくてとても、アップはできない。(汗)

このライブの後の音楽活動はほとんど覚えていないが、一度だけ人前で演奏した。
転校する同級生の送別会でH・K君とデュオでギターを演奏した。
その時は「いちご白書」だったと記憶している。

他には一人で、当時好きだったフォークをギターでかき鳴らしていたかも知れない。
ベースは後輩に返してしまったので、高校に入学してバンドを組むまで触ることが無かった。


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【思えばあの日から】その5 

思えば、自分のギターを手に入れたのは、中2のお正月であった。
どういうわけか、自分達の学年で新聞配達というのが流行っていた。

その新聞配達を5ヶ月した給料とお年玉を合わせて3万円。
中2のお正月の初売りに、市内の楽器屋からモーリスのアコースティックギターを買った。
それはあまり意識しなかったが、後で考えたら憧れのマーチンD28のコピーモデルであった。(笑)

そんなこんなで中3の文化祭、バンドで出ようという話しになったのだが、ギターを譲ってくれなかった友達は一向に練習する気配も無いままフェードアウトしてしまった。
しかし、俺は見たことも触ったことも無いベースをするというスイッチが入ってしまったので、もう後戻りはできない。(笑)

元々ギターをする友達は何人かいたので、アコースティックギター2、ベース1、ボーカルということで、上手くまとまってくれた。

さて、問題はベースをどうしようという話しである。

幸い、1つ下の後輩が持っているという。
文化祭では貸してくれるという。
これはありがたい。

ただ、当日までは手元に来ないので、何か代替のベースで練習しなければいけない。
活動してるのを見たことが無い軽音楽部にウッドベースがあった。
それじゃ、それを使って練習。

が、フレットは無い、弦高は高いなどで練習はとても大変であった。
フットが無いので、絆創膏をフレットの位置に張った。
そうでもしないと、とても音が合わせられない。
幸いギターをやったおかげでコードは分かるので、ベースラインはコードから適当に作ったり友達に耳コピを手伝ってもらったりして完成させた。

今考えると、とても人前では聞かせることができるようなベースではなかったなぁ。。(汗)

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【思えばあの日から】その4 

夏まつりのステージに上がったのは4人。
リードボーカルと3人のアコースティックギター。
曲はかぐや姫の「あの人の手紙」だったかなぁ。

それよりも前の話し。
友達4人でバンドを組もうと言う話しになっていた。
目指す方向性も何も無かったのだけれど、ビートルズのようなバンドをイメージしていた。
当然俺はサイドギターで入るつもりだった。
ドラムを誰がということは記憶していないが、ベースはK君ということにしていた。
ところがK君はギターで参加したいと言い出した。
やりたいパートはどうしてもギターだと言う。

どこまで行っても平行線のような話し合いになってしまったので、俺はベースでもいいよと、その後何十年もの俺の人生を左右するような一言を発ししてしまった瞬間であった。
重要な一言であったが、これまた後先考えずに軽く口から出てしまった。(汗)

こうしてベースへと転向したのはいいが、エレキベースなんていうのは見たことも無い。
知っているのはウッドベース。
コントラバスともWベースとも言われ、クラシックやJAZZに使われる楽器しか知らなかった。

そんなビートルズをリスペクトするようなバンドのことはすっかり忘れていて、友達同士の話はすっかりと違う方向へと向かっていた。

秋の中学校の文化祭でバンドを組んでライブをやろうという話しになった。
かぐや姫のコピーバンドはすでにいたので、当時流行の風をコピーすることにした。
楽器の編成はボーカル、リードギター、サイドギター、ベース。

文化祭のライブの話しの前か後ろか、授業のほうで音楽の実地テストと言うのがあった。
好きな楽器や歌を披露するテストである。

ほとんどの人は個人か何人かでピアニカ(鍵盤ハーモニカ)で教科書に載っているものや流行の曲を演奏した。
また、何人かは歌で実技試験を受けた。

俺はと言えば、バンドを組む予定の友達と二人でフォークの定番を演奏した。
もちろん俺の歌は無しである。(笑)

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【思えばあの日から】その3 

あの中2の時の文化祭が、大げさに言えばデビューステージだったんだけど、終わった後のことは全然覚えていない。
何しろ、ステージ上では緊張しっぱなし。
でも、ステーを降りたら、「やってやったぜぇ」的に高揚感でテンションMAX。(笑)

本当は先輩の演奏とかも効いたはずなんだけど、覚えていない。

なぜデビューする曲がチューリップの「銀のスプーン」に決まったのかというのも覚えていない。


そのころから音楽的思考が邦楽、しかもフォークソングに向かい始めた。
吉田拓郎や泉谷しげる、かぐや姫などのメッセージ性のあるものや叙情的なフォークに傾倒して行った。
そして、そのころから他のギターを弾いている友達とも色々と音楽を聴くようになった。

次のライブの予定があるわけではなかったが、バンドスコアなんかを買ってきてコードをかき鳴らしていたような気がする。
また、Kとは別の友達Hと、今で言うデュオを組んで二人で曲を作ったり練習したりもした。

気が付くと、同級生の中にも結構ギターを弾いてるやつがいるんだなぁと思った。

そして中学3年生。
この年は俺にとって大きな出来事が2つ起こる。

その1つは、音痴ということを友達に指摘されたこと。
最初はかなり凹んでしまったが、こればかりはどうしようもない。
ずいぶんと練習もして、多少は改善されたものの、やはり人前で歌えるような音程ではなかった。
がっくり。

そしてももう1つの大きな出来事のきっかけになったのは、一関夏まつり。
そのまつりの一部の中央町歩行者天国での信金のど自慢大会。
いや、音痴なので歌は歌わないんだけど。
ご近所付き合い的なのりで、バンドで参加申し込みをした。
仲の良かった友達が3人、ステージに上がってギターをかき鳴らした。
そしてこのステージの後に、俺が今でもベースを弾くことになる出来事が起きた。

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【思えばあの日から】その2 

NSPの曲は簡単なコードを循環して使っていることが多かったので、初心者がギターを覚えるのにはちょうど良かった。
「いい」の後にNSPの曲を何曲か教えてもらい、なんとなく形ができてきたかなぁと言うころに文化祭である。

どこからそんな話しになったのか、ギターを始めて3ヶ月で文化祭のライブイベントに出ることになった。

ギターを教えてくれたKは、やはりバンドを組んでいた先輩達と交流があったのだ。
そういういきさつがあったから、文化祭のライブに出してもらえることになったらしい。

覚えたNSPの曲なら良かったけど、それでは先輩達のバンドの曲とかぶる。
そういうわけだったのだろうか、やる曲はチューリップの「銀のスプーン」だった。

今考えると、どうも格好が良くないなぁ。

2人とも先輩から借りたエレキギターを持ってステージに上がった。
ライブイベントは普通の教室よりも少し広い技術家庭の実習室。
ステージは教壇。

本当はハイコードでやらなくちゃいけないんだけど、 覚えたてのローコードのみ。
しかも、ドラムもベースも無い。
椅子に座ってままで、ストラップでギターを吊り下げているわけでもない。

夢中で弾いたたった1曲。

あっという間に終わってしまった。
ろくに曲にもなっていなかったかもしれない。

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【思えばあの日から】その1 

小さいときから「調子っぱずれ」と言われて育った。音痴のことである。
そういうこともあってか、音楽は苦手だった。
小学校のときも、音楽の授業は好きではなかった。
3年生のときにピアノを習ったことがあるが、発表会が嫌で1年もしないうちにやめてしまった。(汗)

ちゃんと音楽として意識して聴くようになったのは、小学5年のときに入院した西多賀の病院。
そこはベッドスクールで、小学生より小さい子供から中学3年生まで、病室が教室になる病院だった。
もちろん一般病棟には大人の人たちも入院していたけど。

で、毎年今頃の季節になると中学生が中心となって文化祭が開催されていた。

普通の学校と同じように絵や工作の展示、合唱とか屋台なんかもあった。

その中にレコードコンサートという部屋があって、リクエストもできるようになっていた。
そこで聴いたサイモン&ガーファンクルの「コンドルは飛んでいく」が歌謡曲しか聴いたことのなかった俺をロックやフォークの世界へ目を(耳)を向けさせてくれた。
それからS&Gはもちろんビートルズ、フォークも聴くようになっていった。

中学に入ったころは、まだ聴くだけだったが、2年になったときに近所に住んでいた同級生がギターを教えてくれるというのである。
ちょうど従兄弟からなぜか白いギターをもらっていたので、ちょうど良かった。

初めてギターを鳴らした曲はNSPの「いい}という曲だった。
今思えば、本当に簡単なコードしか使われていなかったから、覚えるのにちょうど良かった。
そして、友達も俺にサイドギターを弾かせ、自分はリードギターを弾きたかったから、これまたちょうど良かったのである。

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【思えばあの日から】その0 

音痴で音楽が苦手だった自分が、音楽に興味を持ち始め、中学でバンドを組むことになった。
あの日のことが有ったから、数十年経った今でも、バンドでベースを弾いている。
そんなあの日のことを思い出してみた。

子供の頃は音楽は苦手だった。音楽をしているより、外で友達と野球をしたり遊んでるほうが大好きだった。
でも、なぜか中学の頃からバンドを組んで音楽を始めるようになった。そしてそれは今でも続いている。
今になって思えば、あのきっかけが無かったら、今でもバンドでベースを弾いてるなんてことは無かったのかも知れない。

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