【ワープロ】その4
が、しかし、まだまだPCは高価だったので個人でおいそれと買えるものではなかった。
一説によれば一式80万円ともいわれていた。正確な値段すら怖くて調べる気にもなれなかった。
自分が手にしたのは、MSX仕様という半分はおもちゃみたいなPCであったが、国内の家電業界が手を組んだ画期的な商品であった。あれはアメリカ発のAT互換機に対抗するためだったのかな。
本体、プリンタを合わせて15万ぐらいで購入できたような記憶がある。
ディスプレーは付いていない。別売りであったのかどうかはわからないけれど、テレビに表示させて使用するのが一般的であった。
そのMSX-PCではゲームソフトが大多数であったが、その中にHALノートというちょっとビジネス向けでワープロと表計算ソフトがあった。
それを買ってきて使ってみたが、その頃にはワープロそのものには魅力を感じず、表計算でデータベースをしようにも、まともに動いてくれない残念なソフトであった。
多分テレビの調整をすればちゃんと端まで使えたのかも知れないが、そこまでは頭が回らなかった。
そして、そのPCではもっぱら大戦略というターン式のゲームをするのがもっぱらになってしまった。
そうこうしてる内に、NECのPC-98も何とかやっと手に入れることが出来る価格帯になってきた。
自分の興味もPC自体へ移り、ワープロなんかはどうでも良くなってしまったのである。(汗)
【ワープロ】その3
その頃には仙台の会社を辞め、一関の現在の会社で働き始めていた。
当然自分の給料から、2度目の体験となるワープロを買った。
技術の進歩と言うのは恐ろしいもので、その頃になると家電量販店の片隅にワープロコーナーと言うのが設けられていて、一般の人でも手軽にワープロを買うことができるようになっていた。
当然ながら、機能も充実して値段もちょっと頑張れば、そう今のPCでちょっと高目の機種ぐらいの値段までになっていた。
また、形態もデスクトップ式で古いNECのPCの形のものやノートブックタイプのものが売られていた。
自分が買ったのは松下電器の「パナワード」というシリーズであった。
白色のバックにブルーの文字が、ものすごく格好良く感じた。そして形態はノートブックタイプである。
まだ東芝のPCダイナブックが出る前で、かなり重たいノートブックであったが持ち運びが簡単で、寒いときはコタツにも移動できるのがありがたかった。
そのパナワードには3.5インチのフロッピーがあり、作った文書が保存できると言うとても嬉しいものだった。
最初は、やはり新聞や本の文章を入力、保存して遊んでいたが、パナワードの中に入っていたデータベースの方が面白くなってきた。
今考えればかなり簡単なことしか出来なかったが、初心者でも取っ付きやすいカード型のデータベースであった。
そのデータベースで手持ちのレコードや本の管理をしようと必死にやっていた。
それと親戚から時々頼まれる習字教室の新聞を作っていたこともあった。
しかしながら、パナワードのデータベースではメモリ容量が小さくカードを200枚ぐらいしか持てなかったんじゃなかったかなぁ。
【ワープロ】その2
あっ、自分はコンピューター系の専門学校を卒業しているので、当然そういう種類の機械は目にしていたし使ってもいたから、「今までに見たことが無い」って言うのは嘘になるか。多分、シャープのワープロだったと思う。
でも、日本語文字を表示してるのは国鉄のみどりの窓口の操作卓ぐらいでしか見たことが無かった。
事務員さんに聞いてみると、文具屋さんが売り込みのために置いていったのだという。
当分は無料だが、正式に導入するならば料金が発生するという。
いったいいくらのリース料だったのだろう。
一通りの説明を聞き、マニュアルを参考にしながら電源を入れてみた。
確かフロッピーのような記憶装置は無かった。ましてや現在のようなUSBへちょっと保存なんていうことは、その機械ではできなかった。
自分はそれまで英文のタイプライターを遊び程度に使っていたので、キーボードから入力するということに関しては慣れていたしアレルギーも無かった。このキーボードで入力することにアレルギーを持つと、PCの操作までかなり苦労していた先輩がいたから、それはそれで大変だったのだろう。ちなみに使っていたタイプライターはオリベッティではなくブラザーだった。(笑)
キーボード入力ではローマ字入力を選択する。当然のことながら今でもタッチタイプでローマ字入力する。
本職の文章打ち屋さんは日本語入力のほうがタイプする数が半分になるので、当然そちらのほうが早いということを聞いたが、51文字も配列を覚えていられない。(汗)
日本発のワープロの値段は600万円だったそうだから、今になって思えば、そのワープロの値段も百万単位だったかも知れない。
そのワープロでは残念ながら報告書を書くことができずに、もっぱら自分のおもちゃになっていた。
新聞や本の文章を面白く入力しては、その場で印字していた。
そして、お試し期間が終わった1ヵ月後に静かに去っていった。
【ワープロ】その1
ざっくり言うとそういうことになるかな。
現在ではワープロと言えばワードや一太郎などのPC上で動作するワードプロセッサのアプリケーションが一般的である。ワープロ専用機と言うのは中古ではあるものの新品の商品としては存在していないのではないだろうか?
歴史的なことや技術的なことはググってもらえばすぐに出てくるのでそちらを見ていただきたい。
さて、自分が初めてワープロを扱ったのは、多分1982年の夏だったと思う。
仙台の会社に就職したという話しはあちこちで書きなぐっているが、その会社でのことである。
仕事上、どうしても役所やクライアントに対しては報告書を提出する必要があった。
その会社では報告書はある程度のフォーマットが印刷されたところへ、和文タイプライターで印字して完成させていた。
自分も和文タイプライターを使った何枚かの報告書を提出した経験がある。
和文タイプライターでも結構な事ができるので、使い慣れてしまえば案外面白いツールではあった。
字を探すのは最初のうちは大変だが、そんなに突拍子もない字が出てくることは稀であり、大体はいつも使う漢字を探せれば事足りた。
【ワープロ】その0
機械といってもメカニカルではなく、ワードプロセッサーに特化したアプリケーションソフトを走らせるためだけのマシンである。
ワープロが市販化されてからあまり時間を経ないうちに遊ぶことができた。
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